755 激論ジャーナル 162

  • インターネットTVで佐世保を元気にする会
  • 2024/11/13 (Wed) 14:54:32
チミらへ
長文にて関係者以外オッフリミット

当方が中1のとき、近所の皆で小学校の運動場にソフトボールしに出向いた際、新参でガラの悪い中3のヤツが音頭を取ろうと一人息巻き、一緒にいた同じ中3の番長に向って調子に乗って喚き、番長がブリッと怒った。

と、ヤツは突然運動場の真ん中でバタリと倒れ、亀となって固まり、番長に土下座する格好で頭を両手で抱え込んでしまい、子供ながら『こん人は何ばしよっちゃろか』と思い、皆もそうらしく、暫く沈黙が続いた。番長は仕方なく、脇腹をボフボフと思いっ切り蹴り上げていたが、こん人はその度に『ウッ、ウッ、運ギャー』と奇声を上げキックに応えた。

こん人の弟が当方の同級生で、ヤツも普段から脳ミソがおかしく(当時はあれこれ全員誰でも小中学校)、ドローンとした目で、一年中ハナを垂らしていたが、この時もボーーーーっと一緒に囲んで眺めていた。蹴りがやんで暫くして、コン人は周りをキョロリと見まわし、何事もなかったかのように立ち上がり、テクテクと帰っていき、弟が後を追った。以後この兄弟を見かけたことがなく、転校したんじゃないかと思う。

この番長らと皆で裏山の広場でソフトボールをやっていたら、新人の高1の悪が、番長を小突いてエラそうに言ったので、これに対し番長が涙を流して悔しがり、泣きながら、『オヤジに言ってやる、ここにおれんようにしてやる』と宣い、その刹那高1が、ガバッと地面に平伏し、土下座し、必死になって謝ったので、当方らは意味が分からず、傍観。その二日後にヤツは一家揃って消えてしまい、番長のオヤジの出番だったのだろう。

番長と言っても勝手に誰かがそう言っていただけで、本当のところは知らない。

当方は番長の下隣で幼少から毎度一緒に遊んでいたが、小三の頃、ある日遊ぼうと番長の家に出向くと、正面玄関奥に日本刀が大小二本鹿の角に飾られていて、ふと気付くとオヤジが後ろに立っていて、凄まじい目つきで睨まれ、子供に対し何や大人のくせにと少々驚いた。

番長は高1で中退し、何でも空手部に入って横着をこき、先輩らから袋叩きにされたらしく、以来そこら辺でブラブラしていたが、何をやっていたのかは知らない。それから約7年後、番長が夕方のラッシュで満員のバスを道路の真ん中で両手を広げて止め、例の消えた悪をバスから引きづり降ろしたとかで、その後については知らない。番長は近所の婦女子に散々パラ悪さを働き、二十代の中頃大酒をかっ食らい、嘔吐して喉につまらせ、死んだ。

番長のオヤジがどうもそっち系だったらしく、両肩に刺青を入れていて、ツルツルの頭にタオルを巻き、腹にさらしを巻き、地下足袋を履き、毎度上半身裸でノシ歩いていたので、多分そう。道路の脇下に小屋を建て、コの字形の両脇に子分十数名をはべらし、自らはコの頭の部分の一段高いところに胡坐をかいて見下ろし、肴なしで一升瓶から湯呑で呑み、エアコンがないため窓をフルに開け放ち、通行人から丸見え。コレを毎度やっていたので、多分土建業か何かの現場をスポットで請負っていたものと思う。

その道向いを十メートルほど下ったところに同級生の家があり、オヤジが金貸しをやっているとかで、家の前を通るとよく若い女性の断末魔のンギャア~~という泣き叫ぶ悲鳴が聞こえ、ヤツにはネーちゃんがおらず、オヤジらが借金のかたに取った娘の悲鳴らしく、近寄るなと皆が言っていたので、多分そう。

オヤジは近所の共同水汲み場で、夏になるとオバサンらが洗濯をやっている横で毎々、素っ裸になって座り体をこすっていた。もう一人仲間がいて、二人で中央を占拠し、並んでこすっていた。もちろん素っ裸。当時自宅に風呂がなく、みな駅前の銭湯にバスで行っていた頃で、面倒くさかったのだろう。

オヤジらの横で腹をすかしたガキンタレチョが凄まじい勢いで泣いていて、赤ちゃんを背負い、頭にタオルを巻いて洗濯していたお母さんが、ウッルサイと言って、お尻をバシーッと思いっ切り引っ叩き、更に泣き喚かせ、子供が7人いたので、毎度大騒動であった。

つい先般、佐世保の実家で藪を刈っていると、見知らぬ男性から、ニッコニッコ顔でこんちわーと声をかけられ、エライ当家に詳しいので尋ねると、あの当人で、実は兄弟姉妹が12人いたと聞かされ、驚いた。その後にボコボコ生まれたようで、兄弟の年の差が20才以上離れているハズ。立派になっていて、その前に遭った長男さんは酒で焼けていたが、人生色々人も色々。長女は当方と同じ年ごろで、19歳頃、パンパンに膨らみエライ美人になっていて、思わず転びそうになった。

金貸しの息子とは二十歳過ぎに帰郷した際、大和町のパチンコ屋でばったり出会い、それらしくなっていた。ヤツの金貸しオヤジと当方らの連れが毎度ニコイチでつるんでいたが、後年関東かなんとか系のヤクザの親分になっていて、なぜか偶然にあちこちで出会い、運命を感じた。長崎から帰りのリンガーハットや佐世保の大塔のリンガーハット、又はマルエー、或いは大村湾の川棚海水浴場で、沖合からクルーザーで現れ、錨を下し、ボートでやってきた。

先般の中学同窓会ではかつての近所の仲間同士で楽しんだが、盗人松岡秀明某が遠くから横目でキっと睨んでいて、ビビり上がっていたようで、片やヤクザの大親分、片や京都の警官崩れで勝負にならない。

小中といつも一緒だった隣家のSが、一番の花形で、中学を出て近所の鉄工所で働いていたが(当時はこれが普通)、後年長崎県有数の鉄工所の社長になっており(今は会長)、極めてまともな人間だったので当然のこと。ステージで一人一言の挨拶廻りがあり、一番に彼が指名され、当然次が当方で、その次がヤクザの親分。親分がエライ人気でステージと観客とのやり取りが延々と続き、タイムオーバー。

親分はあっちの彼方の山手に邸宅を構えているらしく、大型犬を数匹飼っていて、エライ羽振りが良かった。天神町も親分の縄張りらしく、軽トラでスイカか何かを売り回っていた別の彼に(彼もご近所)やめさせてくれるよう母に言ったらしく、母からそう言われても困ると断ったと聞いた。後日当人らでうまく解決できたらしい。

中学の同窓会に天神町内会長の盗人本多良一某も来ていたらしいが、どこかに隠れていたようで、それも一興。性格がそうなので、単に血統が悪いだけと思う。

ヤツとは小学校4年生から毎年夏冬殴り合っており、恒例の行事。ヤツはフォッサマグナの性格を抱えており、関わると面倒なのでみな知らんぷりで相手にしなかったが、当方だけがダイレクトに反応するため、結果そうなる。

確か、小1と5、6年、及び中3で同じクラスだったが学校ではネコをかぶっており、居ないも同然。一緒に通ったことが一度もなく、それが近年、突然町内会長になって現れ、そら気張って悪さも働くわな。

後年人口数千人に膨れ上がったかつての棚田地帯だが、どうも当方ら昔の地の人間が会長職を回し持っているようで、隣のMちゃんがそうで、次の良一がそうで、Yさんもそうで市議会議長。多分歴代ずっとそうで、どこかの商店街の会長らと同じ。

一番のターゲットが母が亡くなった実家で、ヤツ(盗人本多良一某)は長年の当家に対する逆恨みつらみに燃え、留守宅を狙い、メチャクチャやっており、裏の変質オヤジ一家とつるみ、更には町内会の盗人役員らとつるみ、皆で渡れば怖くないで、盗賊と化してしまった。

毎度盗みに明け暮れ、門扉の鉄性のハンドルを叩き壊すわ、中庭の扉を蹴り破って壊すわ、縁側のサッシ窓を無理やりこじ開けて鍵を壊すわ、トイレ横のガラス戸を壊して土足で入り込むわ、水道水を垂れ流すわ、金庫の中身をそっくりパクるわ、金庫回りの諸々をそっくり盗むわ、家の中を集団でどやどやと土足で荒らしまわるわ、母が大切にしていた連絡先の電話帳など盗み去るわ、二階を荒らし貴重品を手当たり次第に盗み捲るわ、当方の留守を狙ってドロボーをやりたい放題。

連中の仲間で、新参の青木さんが何でもかんでもペラペラ喋ってくれ、全部バレバレ。

連中は二階に住んでいたハナちゃんを叩き殺すわ、家の周辺の植木を切って盗むは、母のニャンコをブロック塀に叩きつけて殺し、棒で叩いて殺し、エアガンで撃ち殺し、毒を飲ませて殺し、罠を仕掛けて両手を折り、或いは両足を折り、キチ〇イ連中は始末に負えない。何より一番が盗人町内会長の本多良一某で、よっぽど子供時代が悔しかったのか、積もり積もった逆恨みが半端なく、幼少期の貧富の格差に起因していること間違いなし。お互い社会の底辺の仲間同士だが、底は底なりにレベルが違い、それでもヤツは何とか生き延びていて、エライ。

当然刑事告訴したが、どうも担当刑事が連中の片割れだったようで、どなり喚かれ、唾を吐き掛けられ、散々。

当方は18歳以降の殆どを県外で過ごし、今も福岡だが、脳ミソがかつての天神町でストップしており、三つ子の魂百まで。これは当方だけでなく、どうも当時の近所の仲間全員がそうで、多分場所がら。いわゆるすり鉢状の棚田だった処に旧家の農家やバラックがギッシリと集まっており、ブラジルのスラム(ファベーラ)に似ていて、仲間意識が強い。

半径50~100メートル圏内に同年代が30数名いて、なぜか殆どが男。電気は来ていたが水道もガスも冷蔵庫も扇風機も何もなく、テレビがなくラジオも殆ど持っていなかった。なので、外に出て遊ぶしかなく、いつもじゃりン子の集まりで、貧乏が生んだラッキー。電気代がもったいなく、夜九時になったら皆さん一斉に消灯し就寝。空気もキレイで、車もおらず、健康そのもの。

中央に日本海軍のコンクリート製の大きな六角井戸があり、その次の段に例の水汲み場と洗濯場がああり、バラックの隣の森に日本海軍の訓練場があったらしく、広場から流れ落ちる下の一帯から一年を通して白い煙が立ち上り、雨の日は十メートル先が見えない位で、すり鉢の底にヒロポン(覚醒剤)の注射器が大量に棄ててあり、勉強の眠気覚ましと聞いていた。当時は違法でなく、みなさん普通に使っていた。

当家の下隣にいたKは当方らのヒーローで、小1か中3までずっとクラス委員長をやっていて、当時は立候補制ではなく、人気投票に近く、彼はいわゆる喋らない病気で、クラス担任の折り紙付き。が、脳ミソがよく、中学では890名の同期中毎度トップ10で、ベストはNo.3。スポーツ万能ながら今でいう悪で、道端ですれ違う弱そうな上級生を見つけると毎度胸倉をつかんで脅していた。高一のとき、上の路上で二人で話していると、中三のクラスメートだった近所のYが通りかかり、するといきなり、足で蹴って、『わあがのぼすんなよ』と宣い、Yもビックリで、単に毎度のクセで、互いに何のことか良く分かっていない。

が、当方が一番の被害者で、当家の横がYの通学路だったので、高校三年間毎度睨まれた。彼も三歳からの知合いであった。

当方は佐世保の実家で路上にはみ出た草木と庭木のカットを毎度やっており、町内横断のメイン裏通りで通行人が多く、あれこれ声をかけられるが、相手がだれかサッパリ分かっていない。姿かたちが一変しており、どなたか聞くのも失礼なので、軽く受け流す。相手も当方が実家の草刈をやっているからそれと分かる程度で、それで十分。多分知り合いばかり。

先般、盗人今村雅史某がプリッとふくれ、余計な案内を寄越さなくなってくれ、助かっている。多分相当数が次々とあっちに逝っており、通夜や葬儀参列の手間が省けて幸い。吉村敬一くんが亡くなったことは数ヶ月経ってヤツから電話があり、『知っとうや、吉村が死んだばい』と言われ、当時はまだバリバリの現役だったため、頭に来た。案内役を勝手に担当するヤツの魂胆が丸見えで、当方らからパクった金を、、、

疲れたので、おしまい。
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